引きこもりは引きこもりに成りきれ

まずはじめに、今現在つまらなくて、不幸ならば、楽しく生きよう、幸せになろうなどという考えは捨ててください。やってほしいのは不幸を避けるということです。

それ故に"楽しく生きる方法7選"などといったものは見ないでください。確かにいってることは正しいように思うのですが、それでなるほど、はいそーですか→楽しくなりましたー、となるような人がそれを見るのか甚だ疑問です。

とはいえ、楽しく生きる方法を模索するのが悪いかと言われたら、そうではないとも思います。確かに、この人こそは、と思える人に出会えることもあるわけです(物理的に会うという意味でなく)。

そして、多くの人にとって役に立つであろうものとは、僕が思うに、人類が培ってきたものであります。

それは科学であったり、哲学であったり、宗教であったり、人によって好みは様々あるでしょうが、それらをその人なりにミックスして取り入れていく、というのがその人の人生に良い感じに作用するのではないかと考えます。

引きこもりの状態は苦しいです。夢中になれるものがあればそうではないのですが、ない場合は地獄です。

しかし最近、僕はこの地獄での生活も悪くはないものとなっているので、これからその方法について書いていきたいと思います。

 

引きこもりになりきる。

まずはこれです。俺は引きこもりなんだ。俺こそは引きこもりなのだと開き直るような感じです。

人は往々にして、昔はああだっただのと考え、今現在を生きようとしません。そして、そういう人は、現在地が見えておらず、その為に歩き出すことが困難になります。

そもそも、人間には完成というものがありません。いつも途中であって、いつも未熟者であります。しかし同時に常に完成しているとも言えます。植物で例えるならば、種は種で完成しており、芽は芽で完成しており、蕾は蕾で完成しており、花は花、枯れた時ですら完成しているという見方もできるということなのです。

種であれば、種として生きよ、蕾は蕾として生きよということです。満開に咲いた花のみが、いいというわけではないのです。それはつまり、引きこもりは引きこもりとして生きよということでもあります。偉い人のよく言う、過去でも未来でもなく、今を生きろというやつです。

開き直るどころか、引きこもりそのものになってやろうと決意してみてください。

 

本当の、本来の自分という幻想を捨てる。

これもありがちなやつなんじゃないかな〜と思います。意識してるにせよ無意識にせよ、大体の人が持っているであろう考え。

本来は、良い大学に入り、良い会社に就職し、愛する妻を持ち、元気な子供を授かり、etc…だったんだが、いやしかし、親だの環境だのが悪かったせいで…。本当なら今頃、素晴らしい戦士になってたはずなんだけど、ほら、矢がさ。本当の自分はもっと出来るし、性格も良いんだけど、アイツは俺のことを勘違いしてる!とか。

ごめんなさい。そんなものはありません。本当の自分とか本来の自分なんてものは自分がそう見られたい、そうありたいという願望に過ぎません。

ただし、自分に合うもの、好きなもの、合わないもの、嫌いなものという意味での本来の自分であれば、探すのは大アリだし、きっと見つかりもするでしょう。見つかる場所は草むらやあの娘のスカートの中でなく、自分の中でしょうが。

 

地獄こそ俺の住処だと考える。

何も、住所欄に地獄と書け、という話ではありません。元々、俺に居場所などない。ダメで当然だし、苦しくて当然だし、もし何かに失敗したって、本来的にこの地獄が帰る場所なのだと思えれば、肩の力がフッと抜けて、ダメになるのが怖くなくなります。ダメになっても大丈夫であるならば、勇気を持って、行動することが出来るかもしれません。まあ、出来ないから地獄にいるわけですが。これは、そこで出来ることを探せということでもあります。布団から出ることができないのであれば、そこで出来ることを探しだすといった具合です。

 

"ない"ということを活かす。

引きこもり最大の強みとは何か。それは、"ない"ということです。ないことはマイナスだと人は思いますが、意外とプラスの面があります。絵の才能がある人、音楽の才能がある人は羨ましいです。しかし、"分かりやすい才能"がある人は、そこに縛られがちです。仮にそれが上手くいってなくとも、成果が出てなくとも、捨てられないのです。絵描きの人は、描けない描けないとよく悩んでいる人が多いです。そんなに苦しいなら描かなきゃいいじゃない、仕事でもないんだしというそれに対する返答もありがちですが、どうやらそういうわけにもいかないようです。

美男美女。僕はイケメンの人と擦れ違おうものなら、何故か自分が恥ずかしくなります。美女の横を通り過ぎる時も、肩がガッチガチになります。彼ら彼女らはモテるだろうしいいな〜としか思いませんが、年齢を重ねれば重ねるほど、見た目は目減りしていきます。モテなくなっていくことは約束されています。そこに生まれるのは恐ろしいほどの焦りや執着でしょう。それでも美男美女になりたいし、そっちの方が人生は良い感じなんじゃないかなと思いますが、しかし、そうでないならそうでないならではの作戦が必要になってくるというわけです。

"ある"ということの弊害を少し出してみました。"ない"というのはその逆のメリットがあるということでもあります。

執着しなくて済むということです。つまり自由に一番近い場所にいるということです。ただし、なにも工夫しなければ、一番不自由な存在でしょうが。

 

自分は修行僧なんだと考える。

夢中で何かに取り組んでいるなら、それはそれを思いっきりやったらいいと思います。ただもし、そういったものもなく、それどころか何もやる気が起きないという状態であれば、それは問題です。僕は何かに似ているなと思いました。それは修行僧です。ただただ、毎日自分を見つめるということを一人で外にもほとんど出ず、やっているわけです。そう思うと、こういう期間もあっていいんだなと少しばかり思えるのです。また、研究者のようでもあります。毎日こうしたらいいんじゃないかとちまちま調べてはノートに書き、それを見直し、試し、改善しなどやっています。

今の期間は自分を知る為の、自分の扱い方を学ぶ為の大事な時期だと思って過ごしてみてもいいんじゃないでしょうか。

 

これまでのものは、考え方の転換という所に焦点を当ててきました。ただ、やはり人間には身体があり、身体の調子と心の調子は切っても切り離せない関係にあります。そこで、考え方も大事でありますが、実際に"やって"、効果が出るものというのを書いていこうと思います。

 

部屋を最強にする。

これが基本だと思います。それは何故かと聞かれたら、引きこもりは部屋にいる時間の比率がとんでもなく高いからです。それは、自分にとって何が大事なのかを見つめるということでもあります。例えば、エクササイズをしたいと考えるなら、それがすぐ出来る環境を作るといった具合です。ゲームが好きなら、ゲームをいかに楽しめるものとするか、上達出来るようにするのか、いいコンディションでやれるようにするのか。それはなんであってもいいのですが、いや、むしろ、小さい事とかどうでも良さそうなものにこそ、目を向けた方がいいです。

 

ゴミを捨てる。

かなり効果のあるのが、これです。地味ですが、効果は絶大で、ゴミが多ければ多いほど効果を発揮します。ゴミとは、要らないものです。自分にとって不必要なものです。それをどんどん捨てていって下さい。最初は簡単なもの、床に落ちているゴミ、机の上の放ったらかしの食器を。そこから段々難しいものへと挑戦していって下さい。着なくなった服、使いもしない電子機器、使ってない家具…。粗大ゴミとかはハードル高いですが。

あと捨てるとオススメなのは過去の思い出の品です。学生時代のもの、卒業証書、卒業式辺りで渡されるあのランキングとか載っているアレなど、捨てると実際、その頃の思い出とおさらばしやすいと思います。別にいい思い出なら捨てなくていいですが。

 

当たり前のことこそ、こなす。

目の前のゴミを拾う。自分の足元をちょっと雑巾で拭いてみる。小さな小さなことをやって下さい。ちょっと興味のあること、まあ、これならやれるかなってことをとりあえず少しばかりの力を入れてやってみる、やり切ると決めてみる。小さくて、どうでもいいことの方が、大きくて、有意義なものよりいいです。目標の立て方や、習慣作りなどと同じで、みんな大きく、めちゃくちゃハードルを高めてしまい、結局失敗したり挫折してしまいます。これは人間の性なんだと理解して、小さく小さくこれでもか、というほど小さくして下さい。それこそが大変なのですが、それが出来たらこっちのものです。

 

スマホなどを封印する。

人は刺激が大好きです。過去の後悔や、悩み、不安ですら、刺激であり、何もしないことよりもそちらの方を選んでしまいます。

スマホはまさに刺激を無限にくれます。いくら楽しいと思わなかろうが、気分が地の底に落ちていようが、次の記事、次の動画を見てしまいます。

まずは30日…というのはハードルが高すぎるので、意識的に見えない場所、例えば押入れや、別の部屋などに隠しましょう。

触っていない時に、自分にとって大切なことを紙に書きだしてみたりすると、スマホと上手く付き合えるようになっていきます。それは、自分のしたいことのために、スマホを"活用"するようになるからです。

 

皿洗いや、料理は親に奪わせてはいけない。

皿を洗う、料理をする。これほど大事な作業はありません。この大事な行いを奪われるのは、勿体ない。人によっては無理かもしれませんが、可能であれば、自分でやって下さい。意味なんてありません。やるためにやって下さい。これはかなり大事なポイントで、これをしたら、どうなるかというのは大事で、それはそれで考えていただきたいのですが、"やる"というそれ自体がエネルギーを生み出す、そしてまた何かやる、それがまたエネルギーを生み、というサイクルがあることを知ってください。そして、やれることに力を注いでください。何か遠くのものではなく、今現在、やれることにのみちょっと本気でやってみる。これを意識してみてください。

 

記録する。

記録は、力です。現状脱出の様々な方法はありましょうが、やはりそのベースとなるのは記録だと、勝手に思っています。もし、習慣が変えられたら、人生がいい方向に向かうなんてことはすぐに分かります。しかし、これほど難しいことはないです。ただし、これを手助けしてくれるやつがいます。それはノートとペンです。記録すると小さな進歩が分かります。小さな進歩が分かれば、人は幸福を感じます。ノートに関しては本当に様々な使い方があり、自分のパターンを知って、悪い流れに入らないようにしたり、自分の不安を書き出し不安を減らしたり、何が問題なのか、なにが大切なのかを考えたりするのに役に立ったりします。

 

エクササイズ(家事を含む)をする。

不安や憂鬱にはこれ。でも、これが難しい。エクササイズはその人に合ったものがあるだろうから、それを探したらいいと思います。例えば僕の場合、ヨガが合っていると感じていて、楽しいし心地よいので、勝手に出来ます。しかし、外に歩きに出るとかは、冬だと面倒でしょうがなくて基本やりたくないし、走るのとかも合ってないし、筋トレはしちゃいるけど、そこまで好きでもないし、掃除なんて、全然好きじゃない。こればっかりは、その人なりに探していくしかないと思います。ただ、エクササイズがどういう効果があるかということを知ると、やろうと思えてやる気が出ることが多く感じます。因みに脳の機能向上にも一役買ってくれるので、やらない手はないと思います。勿論、健康にもいいですしね。

 

瞑想する。

不安や憂鬱にはこれ第二弾。心理学の不安や憂鬱に関する記事にはめちゃくちゃ登場するこれ。やり方は、姿勢を整え、呼吸に意識を向ける。考えが浮かんでも、それを続けて考えたりせずそのままにしておき、また呼吸に意識を戻すといった感じです。詳しく知りたいなら調べてみるとよくわかると思います。ネット上には1日45分でこういう効果がとか、10分でこういう効果がとか、スタンフォードの自分を変える教室には5分から始めてみましょうなど色々ありますが、自分に合った方法でやるといいと思います。僕は1日1分を1日の目標としています。ただ、1日、20分とか45分することもあります。

 

今度は具体的な方法について見ていきました。これは僕がやってみて効果があっただけであり、特別僕は幸福ではないし、不安や焦りとともに生きています。友人関係、恋愛関係、仕事関係、上手くいっているどころか、悪いです。しかし、それでも絶望もしていないし、人生が良くなっている気さえします。

 

最後に3つの大事な点だけ書いて終わりたいと思います。

  • 目の前のやれることをやる
  • これならやれるかなということをやり切ってみる。
  • 目標は小さな単位で、習慣化したいことは1日の目標をこれでもかというほど小さくする。