野菜は、食うといい

食は大事だ。

野菜を食べるよう心掛けたら、うんこがよく出るんだ、本当に。

僕の場合、うんこの形はあまり良くないので、これをどうにか出来ないか頑張っているんだけど、なかなか効果が出ない。

引きこもり前だったら、いつもバナナ型だったんだけど、引きこもってからというもの、ほぼいつも、コロコロタイプというやつだ。

基本的に水分が足りてないのかなとも思うので、水筒を買うことにした。なんでかと言えば一々キッチンに行って、コップを出し、水を注ぐという一連の作業を1日に何度もするのはめんどくさすぎて続きやしないからだ。

外食の時とか、水がすぐ横にあるからめちゃくちゃ簡単に飲めるし、実際ぐびぐびいっちゃう。その効果を期待して、買った。

 

話を元に戻すけど、一時期常に何か食べていたい、どんだけ食っても満腹にならないということがあった。

その時とった方法は、安く、いかに量を摂るかだった。そうすると、業務スーパーでチューロスがグラム数に対してめちゃくちゃ安く、しかも美味かったのでそれを油で揚げ、砂糖ぶっかけて食ったりしていた。

それを主食とは出来ないので、パスタやうどんを兎に角食っていた。

しかし、常に満たされることはなかった。

そして流石に栄養についても考えだした。

安く、栄養があり…でも、僕にはそういうのは無理だったようだ。

次に考えたのは、人と食うことこそ健康的なんじゃね?ということ。

職場の人プラスアルファと料理を作り、一緒に食べた。

やっぱり満腹感はなかったし、どか食いは続くし、うんこは全く出ないんだけど、でも精神的にはちょっと健康になったと思う。しかし、しかしである、全く身体は健康的にならない。

ついに僕にはどうすることもできなかった。

やけに安い定食を食べる、その後も満たされず、業務スーパーで大福を買い、ひたすら食う日々。大福はやけにカロリーがあり、しょうがないから、どか食いは特に我慢せず、ただただ歩くということにした。

そんなある日、野菜のバイキングに行ってみることにした。店自体は知っていたけど、800円と僕にとっては高いし、実際野菜のバイキングとは知らなかった。

高い。しかし、どか食うには、バイキングがいいじゃないか。

味とかは期待してなかったけど、そこはやけに美味しかった。

野菜のくせに、美味いんだ。あと鳥の唐揚げもあるし、米もあるから、栄養的にもいけんじゃね?となる。

腹がパンパンになり、歩きづらくなるくらい食った。

その直後、激しい便意に襲われヒッサビサにうんこをした。

次の日も、その次の日も食べた後に便意が来る。今までの苦労は一体、というほどやけに出るので、毎日そこに行くことに決めた。

1日1食、どか食う。

コレは今までにないくらいうまくいったように思う。

あれ程出なかったうんこが毎日出るのだから。

一旦食べ始めたら我慢するのが大変だった食欲も、腹がパンパンになってもう入らないというぐらい食えるのだから。

 

でも、やっぱそこだけだとダメだ。

季節の変わり目だったというのも大いに関係あろうが、やたら毎日顔色が優れず、ついには結構ハードな風邪をひいてしまった。

暖かい服が無くて寒かったり、全裸で寝てたことが原因かもしれないが。

 

結論としては、身体に良さげなものをたくさん食うと、確かにうんこが出る。

人と作ったり、食ったり、その為に色々考えるのは楽しいし、それはそれで健康にいいとも思う。

勇気を与える

こんな僕でも出来るんじゃないか

自分について考えていく。そして色々体験する。そしたら見えてくる。

自分に勇気を与えてくれるもの、そしてその逆のもの。勇気を与えてくれる人、そしてその逆の人。

僕は勇気を与えてくれる人が好きだ。

だから、僕もそういう人になれたらいいなと思うんだ。

そしてそれは、何も難しいことじゃない。

少しだけでもいいからやってみる。

最近思うのは他人に勇気を与えたら自分も勇気が湧いてくるってことだ。

しかも近しい人や関わりのある人が良い状態となったら自分も良くなるなんて、当たり前だしな。

何れにせよ、僕はそういう人になりたい。

期待されてないから自由にやっていける

特に期待はしていないと言われし男

悩みに悩み上司的な人に相談する。

何がダメなのか聞いてみたら特別期待はしてないということだった。

もちろん、その人も決して悪い意味で言ったわけじゃないだろう。

それどころか、多分いい意味で言ったのだろう。

しかし、そいつはぐさっときたんだ。

 

期待されてないからこそ自由にやってやろうじゃないか

なんだ。簡単なことじゃないか。大いにダメになれるでないか。

もし、その結果怒られたり、縁を切られたりしてもそうなった方が返ってやってやろうとワクワクする。

意外に、そうして自分を出してみるとダメならダメで納得出来る。そして、自分の中の退路が無くなることで、簡単に次の一歩を踏み出せたりする。

 

これでダメならそれでいい

自分をはっきり打ち出してみると実に清々しい。その上でダメなんだったらしょうがないと思える。

生きた心地がする。

もともとダメなんだ。

だから、嫌われるくらいなんてことないんだ。

認められないのは辛い

馴染まない

馴染まないのだ。その場に。

というか、話が合わない。基本的に。

確信へと近づいているように感じる。

僕はいる場所が間違っているんだなということに。

僕が悪いのかという可能性もあったし、今だにそれはあるだろうが、人種が違う。

会話を聞いてみると、ああ、一般的なそれだと思う。

どうも、その人たちはそういうのが好きみたいだ。

 

いつも疎外感がある

当然だ。バックグラウンドが違う。意外とみんな、高校へ行って、大学、短大、専門とかに行っている。

バイトは色々してたり仕事だってしている。

出身地の話であーだこーだ言える。

何か、普通の話が出来るんだよ。

アレは僕は苦手だと気づいた。

 

話に入れなければ、無視される

共通している部分が少なく会話には入れないなら、阻害される以外ない。

話を聞くことに集中すればいいんだろうけど、どうしても嫌だ。うんうん、なんて視線送ってくださいとしたくないのだ。

相手に興味を持ちなさいなんて言うが、それもパッと出来るようなもんじゃないだろう。

 

もちろん仕事もできない

仕事のパフォーマンス自体、そこでの人間関係に多分に影響されるだろう。

そして、ナチュラルにそこでは出来ないやつなので、まあ、まるで期待されてない。

 

結果めちゃくちゃ辛い

面白いほど日々寂しさと孤独を味わえる。

寝るときも常に奥歯が噛み締められている。

寝てみても、心地よくなるなんてことはない。

いつ何時も楽しくない。

 

誰に囲まれているのかそれが大事

人間関係は大事だということが分かった。

そして、その為には無理なく、認められる場所や環境に身を置くことがベストなんだろう。

そしたら、これとは逆の現象が起こる。

そしたら、パフォーマンスだって上がったりするのかね。

そういうのを一度目指してみようと思う。

引きこもりこそ服装にこだわってみる

少なくとも汚くない

いわゆる普通の人ですら、服に気を使った方がいい。それだけで印象がガラッと変わる。

ヨレヨレの服やサイズの合ってない服とキレーな感じではまるで違ってくる。

引きこもりこそ、出来る限りそこを目指した方がいい。

外に出やすくなるし、人と話しやすいかもしれない。

 

チェックはやめておく

かーちゃんの買ってくる服だけで長年生きてきたが、やたらとチェック柄が多い。

なんか分からないが、チェックはめちゃくちゃダサさを増やしてしまうことが多い。

それ故にとりあえず避けよう。

柄とかないのをかーちゃんに買ってもらおう。

 

デカめは良くない

かーちゃんの買ってくる服といえばサイズの問題に差しあたる。デカめが多かった気がする。

それは、きっぱりと外で着るのはやめよう。

小さすぎたらまずいが、気持ちちょい小さめの方が悪くはなるまい。

 

帽子は髪を隠すのにいい

僕は長年、髪の毛は自分で切ってきた。

髪型がコンプレックスだったし、ひどい時はひどいものとなる。

そこでいいのが、帽子である。

コレはガチでおススメだ。

冬にニット帽をかぶるとかやってみるといい。

髪型気になる具合が減って、外に出やすくなる。

 

常人なおもて良くなるいわんや引きこもりをや

引きこもりの方が見た目で得したりするんだ。

どんな格好でもいいんだけど、それがその人なりにいい感じになっていけば、引きこもりなのに、良いということが起こり驚きを生んだりする。

ほんの少し、お得なんだ。

最弱なんて最悪だ

最弱なので後輩より出来ない

何か後輩の方が人間関係が良くなっている。

僕の知らぬ間に色んな人と色んなことを話したりしてて、出かけたりしている。

仕事を任されていたりする。

僕はその時、ソッとショックを受ける。

そして、その癒しのために歩くことが多くなる。

こんな事がやけに多いので、大体いつも、勝手にダメージを受けている。

 

大体ハブられる

話しが盛り上がらない、気を使わなければならない存在は、まず、呼ばれない。

他にも悪いとこはあるかもしれないが、一人ハブられたりしている。

また、会話中も、存在しないものとして扱われる場合もある。

話している人が自分の方だけ見ないとか、挨拶自分だけされないとか。

コレは僕の態度もそんな感じだから、当然なんだけど、そうは言っても認められたいってのはあるじゃない。

とはいえ、変な気の使い方をすると、俺は何をしてるんだという考えが浮かぶので、どちらが自分にいいのかは、試していこうと思う。

 

みんなの楽しそうな笑い声が辛い

そこに僕も所属しているという感じがあれば、さぞ楽しいんだろうけど、そんなことは大体ない。故にこれはめちゃくちゃキツイ。

一刻も早くその声が聞こえない場所まで行くのが懸命だ。

僕は

 

やっぱ他人への興味だよな

でも、湧かねーだろ、基本。世間話みたいな上っ面の会話、興味ねーよ。

っていうのは悔しさから来ている発想なんやろか。

でも、いる場所にもよると思うんだよな。

そこに集まりやすい人種というのはあって、その人達と合いにくいなら、場所を変えた方がいいという結論に至ったよ。

そういうもんなんだと思う。

だから他人への興味とか、そうじゃなくて、共通の興味がある人が集まりやすい場所にこそ、所属した方が楽しく生きれるし、自信を持って生きていけるんだろうよ。

だから、僕はいる場所を間違っているんだ。

旅立ってやろうじゃない。

人と話せるって幸せだ

人とご飯に行く、人と会話する、人と同じ空間にいる、全部心地いいよ。

もちろんそれは気のおける人と限定だろうがね。

そして、それらは同時に寂しさとセットである。

その上でいいと思うんだ。

この心地よさと苦痛のセットは、二つとも楽しいんだ。

 

考えを話せる。今日あったことを話せる、将来のことや過去のことを話せる。色々アドバイスも聞けたり、最高だ。

苦痛だって最高だ。

落ち込んだ時、苦しい時は音楽や本を5倍は楽しめるようになる。辛いから歩こうと勝手に思える。これこそ俺の大事なものだ、と再確認出来たりする。

 

時に煩わしさが半端ない。

それでも一つ一つ解決しようと取り組んでみれば、コロッと状況が良くなったりする。

 

多分、いつも上手くいっちゃ面白くなんてないんだろう。

上手くいくか、悪くなるかは分からない。

その上で上手くいくようにやってみる。

ゲームみたいなもんだ。

そしてこのゲームはやりごたえもあるかもね。