頑張るのは辛い、頑張らないのも辛い

頑張らなくていい。僕なんかは良くこの言葉を見聞きした。この言葉は僕の大好物であり、自分でよく探しているんだろう。

しかし、僕は頑張りたいのだ。頑張ることは快感だ。頑張れることがあるのは実に清々しくて心地がいい。

しかし、今まで工夫してきたけど、常に頑張ることはできない。自分でやろうということにしても、他人からやらされることにしてもだ。

そして、頑張りの種類によっては自分がボロボロになる。

そこで、僕は頑張らなくていいという言葉を摂取する。信じる。そして、全部投げ出す覚悟を決め、頑張らない。

頑張らない為にやけに頑張る。

 

その次、怠惰の限りを尽くす。するとなんだ、何日かすると、尋常ではない虚無感、何もかもがつまらない。スマホいじりと寝るの往復。今更、Youtubeに本気で楽しいと思える動画なんてありはしないのに。実に不快であるにもかかわらず動画を見るのをやめられない辛さ。

スマホなんて投げ捨てて、運動でもすれば良くなるってわかるんだけど、そうならない。

頑張らないのは、恐ろしく辛いと最近は思う。

やはり、頑張れることがある方が、楽しいと、そう思う。例えそれをする事で自分の未来が目覚ましく良くならなくとも、それ自体に頑張れるのであれば、それはそれとして必要なのだ。

やらざるを得ないと言ってもいい。多少の苦しみ無くして、楽しみなんて感じることは出来ないのだから。

 

つまり、頑張る方がいいとか頑張らない方がいいとか、そういうどうでもいいことにはこだわらなくていいということだ。どちらも必要だし、両極端になる必要はない。

頑張れマンとか、頑張らなくていいマンとか、そんなものは状況や人格、環境によって様々なので好きな時に好きな方を、ってことなんだろう。

とはいえ僕は"頑張れる"、という状況の方が好きだが、そんなにうまくいったりはしてない。