幸福を目指すことは個性を発揮することだ

近頃というほどじゃないけど、みんなと同じでなくて、個性を発揮しろ系の話をよく見る。

僕がそういうのに興味あるからかもしれないけど、やけに見る。

個性、個性って何さ。

 

自分は変化し続ける

自分のことなんて分かりゃしない。確固とした自分なんて探してみたけど見つかりはしなかった。

すぐに誰かの影響を受けてはコロコロ変わる。今までと真逆のことを信じたりする。

状態、機嫌でもまるで別人だ。

自分ってものは決まっていて固定化されたものではない。何かに影響を受けて、常に違う。

でも、その決まりきってない存在こそ、自分であると言えるんだ。

途中であるけど完成している。

そして、影響を受けてマネをしていくその過程こそオリジナルといえよう。

 

個性って何さ

人にはそれぞれ違った感性がある。これはどうやらそうらしい。感性を発揮することこそ、個性でありそうだ。感性を発揮するとは何だろう。それはそいつの好き嫌いに他ならない。

好きなことをできる限りする、嫌いなことは出来るだけ避ける。それが感性を発揮するというのとになろうか。そしてそれは正にそいつ自身の幸福と同じに思う。好きをやり、嫌いを遠ざける行いは幸福への道である。それはそのまま、幸福そのものでもある。

 

己のオリジナルの幸福を目指せ

幸福それ自体、共通することも大いにあるだろうが、やはりオリジナルである。

自分である、個性を発揮する、幸福になる。

どれも同じことである。

僕は幸福になるために足掻いている。自分にとって、何が心地よいのかを実験しているって感じだ。色々試していくとこれは面白いなというのがぽこぽこ出てきたりして、不幸なりに、面白かったりするのだ。地味でクソつまんない作業も、楽しむくふうをしてみると、意外と楽しめたりする。

この楽しんでやろうという道こそ僕の幸福そのものなのかもしれない。